日々のメモ
考えごと
打つじゃなくて 書く
コトバって、不思議だ。
人が、人と生きはじめたころから、 伝えたいことはあった。 文字になるより先に、 コトバは、誰かに向けた声だった。 いま、口にしたそのコトバを、 どれくらい考えて選んだだろう。 誰かに向けたものも。 自分に言い聞かせたものも。 昔、恋人や大切な人と離れて暮らすとき、 伝えたいと思っても、すぐには届かなかった。 だから、手紙を書いた。 一枚の紙に書けることは、そんなに多くない。 書いているうちに指が痛くなる。 まだ伝えたいことはあるのに、 手のほうが先に疲れてしまう。 あと、何を書こう。 この余白に、何を残そう。 一通の手紙には、 目に見えるよりずっと多くのコトバがある。 書いたコトバ。 書こうとして、やめたコトバ。 最後まで、書かなかったコトバ。 言えることは、ほかにもあった。 それでも、この一行を選んだ。 書かなかったものの重さが、 書いたものに、そっと残る。 手紙を書くときは、考える。 あの人に、何を伝えたいんだろう。 本当に届けたいのは、何なんだろう。 それが、待たなくてもよくなった。 指も、痛くならなくなった。 思いついたそばから、届くようになった。 その便利さのなかで、 コトバに触れる手つきまで、 少しずつ変わっていった。 「書く」とき、 指先から、何かがにじんでいく気がする。 インクだけじゃなくて、 体温とか、ためらいとか、 その人を想う気持ちとか。 一画ずつ、 自分のなかにあるものを、コトバに移していく。 「打つ」って、 何かを、たたくことでもある。 指先で、コトバを打つ。 その小さな衝動で、 コトバが自分から離れていく。 心がまだ、そこに移りきらないうちに。 ぬくもりを渡すより先に、 コトバだけが、相手に触れてしまうこともある。 手で書いていると、ふと止まる。 あれ、この漢字、どう書くんだっけ。 頭のなかを探す。 思い出せなくて、辞書を開く。 たった一文字のために、 そんな時間があった。 手紙には、その人が出る。 字のかたちにも。 だんだん乱れていく、その線にも。 紙の下まで書き進めると、 もう、手を置く場所がない。 少し浮かせた手で、続きを書く。 まだある。 まだ、伝えたいことがある。 痛くなった指で、 どうにか最後まで書こうとする。 その必死さまで、紙に残る。 送ったら、待つ。 あの人からの返事を。 あるいは、直接渡す。 目の前で、読んでもらう。 泣く直前、かすかに震える唇。 笑みがこぼれて、ぱっと明るくなる顔。 一行ずつ、文字をたどる目。 手紙を握る手に、少し力が入る。 読み終わると、こちらに来て、 ぎゅっと抱きしめてくれる。 ああ、届いたんだ、と思う。 いまは、その顔が見えない。 送ったコトバを、 どんな顔で読んでくれたのか。 笑ったのか。 傷ついたのか。 何度も、同じ一行を読み返したのか。 見えないまま、また次のコトバを打つ。 自分のひとことが、 誰かのなかで、どれほど響くのか。 その響きが、どれほど長く残るのか。 忘れてしまう。 コトバの向こうに、人がいることを。 思っていることを、誰かに伝えたい。 自分のなかにあるものを、 少しでも、誰かに手渡したい。 人が人と生きる、そのいちばん根っこに、 ずっとあった気持ち。 そこには、たしかに美しさがあった。 いつの間に、 こんなに置いてきてしまったんだろう。 置いてきたことにも、 気づかないまま。
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